こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(更新停滞中。)

遅延性の違和

渦中にいるときは気が付かなかったのに、後になってから違和感を思い出すことがある。二度と解消することのないその感覚を、わりとずっと、引きずっている。忘れてしまえばと何度も思うけれど、関連した話題を目にする度、似たような感情に出くわす度、急に思い出しては、巻き戻し→リプレイを繰り返してしまう。しんどいと感じているのに、学習能力のなさに、もう笑っちゃう。

昔、職場の年上の同僚にイジワルされたことを、当時の恋人は「キミが若くて可愛いからだよ。あの人たちは僻んでるだけ。」と言い頭を撫でた。私は極普通に無難に振舞っているつもりでいて、その仕打ちにそれなりに落ち込んでいたから、「キミ自身は悪くない、大丈夫」なんて言われてほっとしてた。―でも。いや待てよ?「若い、可愛い、じゃあしょうがないねー」って結論にするのおかしくない?理由の真偽はともかくとして、いじめること自体が意味不明だと訴えているのに、それを仕方がないと我慢させるの?「何故?」と泣いているのに、この出来事自体が「キミ=若いし可愛いという魅力の証明になるから、むしろ喜ぶべきことで、全然大丈夫だよ」ってこと?おかしくないかい。

キミは僻まれるほどの魅力を持っているのだからいじめられても仕方がないっていう理論も(実際はそんな魅力なぞ無いと自分では思っているのにも関わらず)、仕事場で、時給が発生している最中で、イジワルをするそのレベルの低さにも、若さや可愛さなど人の容姿による“評価”“価値判定”を無意識に認めちゃってる恋人にも、いろいろ納得できなかった。今もたぶんできていない。

渦中で気付かなかった...と最初に言ったけれど、本当はちょっとは、何か、感じてたとは思う。ちょっと引っかかるとか、ちょっとズレがあるとか。でも大したことじゃないつもりだった。少し経ってからだんだん違和感を増し、でもタイミングを逃し今更感、そして結局最後まで伝えず...みたいな。

話が通じないと思う瞬間は子供の頃からもう何度もある。皆が平然と受け入れていることに違和感を持つこともあったし、逆に多数でガヤガヤ言っていることにさほど興味を持てないこともあった。そういう時の気持ちを口に出すのを憚ることが多かった時期はたぶん馴染まなきゃと思ってたんだと思う。狭い世界で生きていたから。「あれ?」と思っても、波風立てないことや愛想良くして嫌われないことが大事で。そのうち、大概の場合は“やっぱり性格上無理”として、思ってることはっきり言うようになったけれど、未だに嫌われたくない人の前では“感じなかったふり”をすることもある。それが“空気を読む”ことだったり、「相手への思いやりだよ」と言われることもあるけど、私としては嘘ついている感じがして、心地よいことばかりじゃない。違和感を放置して、最終的に良い結果になった記憶が思い当たらないのだ。

違和感を全く覚えない人間関係なんてあるのだろうか。(きっと無いのだろうなと思っている。)あるとしたら憧れる。そういう相手と話ができるなら、是非お願いしたい。今のところは有ってもスルー(できているつもり)という癖がついているから、人間社会なんとかやってこれてると思うんだけど。黙ることにした「あれ?」の正体を、ネット上に探しに行く衝動もよく起こすけど、似ている他人の状況を見つけて“少数でもひとりじゃない”と安心して眠る。まぁ例え私だけの“違和”だとしても、一度感じたものはなかったことにはできないんだけどね。

 

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