こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在9月の記事、遡って更新中。)

元々間に合ってないし

気が付けばカウントダウンが始まっている。皆が忙しく走り出す中、私は変わらず、お尻に根っこを生やしている。どうせ立ち上がって、真似て右往左往したって、邪魔って言われるだけだから。全然実感が湧かないな。「ありがとう」も「よろしく」もナチュラルに唱える自分を想像できない。つい昨日のように12月初めを思い出し、夏の暑い日を思い出し、桜の花を見に行った散歩を思い出す。家族が居たり居なかったりする年末をほぼほぼイコールのように去年?今年?と困惑しながら思い出す。外界を忘れそうなのは、コロナや寒いせいじゃない。私は本来そういう性格で、“静”という行動から生じた当然の結果だ。

ひとつひとつを考えれば、迷わないはずがない。一点に注目すればするほど、私は目移りし、目が泳いで、眩しいと目を閉じたがる。時間は戻らないのだから、憂うのは先のことだけにしたい。それでも振り返って、この1ヶ月がどうだの、この1年がどうだっただのと、語りたがっているようでホント自分にイライラする。イベントもトラブルもなかったよ。自分が大人しくしてさえいれば、余計なことを口走らないし、反射的にしゃしゃり出ない、他人にも自分にも揺さぶって疲労させることはないんだ。揺れる水面を見るだけでも、私はちっとも暇じゃない。そういうのを共有できるような人じゃないと、この惑い方を理解できないと思う。

季節に便乗して、例えばTVの特番を録画したり、用が足りれば廃棄されていくものに哀愁を感じながら結局他人事として見送ったり、無くても生きていける・知らなくても差し支えないものに手を出し口を出ししているときを、ふと無意味に感じる。「人生を豊かにする」などと言ってみたとして、人生が人間が豊かになった実感など今までない。他人の様々な締め方や始め方を前にして、「ああ、きちんと証を刻んでるんだな」と思う。「昨日と今日が変わらない一日」なんて言っていると、きっと今日と明日も変わらない一日になる。今までの“普段”には目に入らないことが多少起こったって、時間だったり体力だったりの根本的な“浪費”には変化はない。雰囲気に呑まれてだらだらしているのではないよ。元々だよ。

来年に残せない宿題でもあるのなら、のんびり屋の私でもさすがに今日ぐらいから焦るだろう。でも生憎、宿題など設けずにこの1年やってきた。誰かに課されそうになると下を向いて避けてきた。“受けて立たなかったツケ”は廻ってくるぞ、とも言われたが、それはそれでしょうがないと思っている。ノルマを課されるプレッシャー、それによって成長すること、宿題を期限内に終わらせる達成感、そういうの、一旦どこかに置いてきてしまった。残り数時間、どころか、残すは半年、だとしても、私はとうに「もう間に合わねーや~」と言っていた気がする。

 

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