こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在9月の記事、遡って更新中。)

それもこれも君だけのもの

私は自分のことを悉くタイミングの合ってない人間だと思っている。人から見ればそうでもないかもしれない。だけれども、いろんな節目で「違う、今じゃない」と思っていた。昔を思い出して「あーあれはラッキーだったな」と思う場面もあるが、「いい流れでいいチャンス来た」とは思えることは少ない。周りのせいじゃない。私自身の運と間の取り方のせいだ。同じことが起こるとしても、タイミングだけ「あ~そこじゃなかったな~」と引っ掛かった。願っても願わなくても、揃うのは全部奇跡だと思う。そしてそれは滅多にないこと、特に私には起こりにくいこと、と思っているから、奇跡という言葉に、神秘性はあるが親近感はない。なんというか、実感が薄いんだよね。

あまり人を信じない質だと、自分も他人も思っているのに、何故か占いとかスピリチュアル的なことがわりと好きだ。別にのめり込んだりはしないけど。自分が何かに属する、というより、神社仏閣とか占いとか信仰とか人間心理とかには興味がある。関係する人の話を聞くのも好きだ。(一回ちゃんとした占い師に視てもらいたいんだよねー自分のこと。)疑り深いって言ってるのに信じている前提で話を聞くっていう姿勢、矛盾しているかもだけど、もしかしたら“目に見えないものについて”の話のほうが、真剣に聞けるかも。もちろん“視ている人”の話す内容含め、その人自身を信じるか否かは考えるんだけどさ。信じるとか愛しているとかも実際思い込みみたいなところあるから(と私は思っているから)、「こういうものなんです」とか「こういう風に視えるんです」とか言われると、それは「そうなんだ」と思うんだよね。だって、それ違うって証明できないもん。占いで、運命とかはこれからの行動で変えていけるものだから予言は信用できないって言っても、占いの結果そのものについては、覆せないと思ってる。(よっぽどピンポイントな情報を外した時は指摘するべきだとは思うけどね、統計とるためにも。)“その人にはそう視える”っていう事実だけ在る。私が信じても信じなくてもその視界は在る。だから単純にそうなんだーって思うよ。私も視えれば、より共感が持てるんだろうかって考えたりして。

「ほんとタイミングがよかっただけで」って奇跡を信じながら謙遜する人っているよね。奇跡を味方にしたんだからもっと誇っていいのにって思う。「奇跡とかじゃありません。努力して実力で自分のタイミングで、掴み取った結果です」って堂々としている人もいるね。それも素晴らしいと思う。間の取り方まで身に付けて、奇跡を待たずと実行したならそりゃかっこいいに決まってる。私は、奇跡もチャンスも時間だって、平等だとは思っていない。根拠もなく均等だと謳う人のこと絶対信じられない。でも人によって、在り無しや強い弱いが曖昧で、矛盾すら孕んだ「そういう世界」のことは、なんとなく、不安定すぎるから信じてしまうのかもしれない。はっきり形が見えない、ちゃんとしてないもののほうが、なんだか安心するのかな。

 

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