こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在9月の記事、遡って更新中。)

about someone

他人の気持ちを想像するってそう簡単なことじゃない。小さい頃から相手の立場に立って考えてみなさいといわれてきたし、演劇をしているときもそれが上手になる条件だって指導されていた。「人のことよく見てるねぇ」と褒められていたけど、それはただの人間観察で、他人がどう思っているかを考えるのはきっと必死だった。でもね、どんなに考えても“想像”だからね、真実とは限らない。「きっとこうなんだろう」「こんな風に考えるはずだ」と思い込むのは危険だ。自分の一点集中が変なところで発揮されて、想像が決めつけにならないか、怖かった。

先日も、無知を曝け出して平然としている人がいて、何とも言えない気持ちになった。ひと呼吸おいて、何か言うけど。自分と似たような立場ならば自分と似たような人生を歩んでいると思い込んでいた、自分は恵まれているんだなぁと最近気付いたそう。両親揃って健在、将来にかけられるお金に余裕がある、望んだ職に就くために整った教育が受けられる、またその環境に生まれたときから在る、などそれらに感謝の気持ちは勿論あるけれども、それらに当てはまらない“仲間”もいることを初めて知った、と。(ひぇー。努力で同じ立場を勝ち取る人は全くいないとでも?私としては、そこまでの“特別”、皆同じなわきゃねーだろって事例だった。)しかしそれで心持ちを改める、というわけではないらしい。うーん?なんじゃそりゃ。まぁ私だって、自分や他者が置かれている状況を勘違いしている部分もあるだろう。自分が思ってきた以上に現状恵まれていたり、今まで知識として持っていた以上に他人は窮地に立たされていたりして。それに気づいたとき、私は少なからず悔いる、恥じる。それで状況が、世界が大きく変わることがなくても。気づきを意味のないものにしたくないから。けれどもその人は、自分が知らなかったことを突きつけられても、なんてことはないみたい。例えば、「人間を生きている」という同じ条件下で、マジで無一文の人に「百円ぐらい持ってて普通でしょ!?持ってないなんてありえるの!?」と言ってしまうような軽さで。皆に平等にあるべきではあるけども、職業的に特に持っていてほしかった想像力、その欠如。なんだか怖くて鳥肌が立った。無知自体はきっと仕方のないことだろう。知ろうとしなかった本人だけのせいじゃない。教育も環境も影響している。だからこそ、無知に気付かされた後の態度がショックだった。これから生きるつもりの未来でも“自分の知っている範囲の世界”を選ぶのかと思った。近い人からアドバイスをされているようだし、それが何の効果もないなら、それはそれで、人間だし、仕方がないこととは思うけど。ほんの少し(どうせないからね)関わりたくないなーって思っちゃった。

人の気持ちがわかる!なんて堂々と言えないし、もっと想像力を持ちましょうなんて偉そうに教示するつもりもない。けれども想像することを自分はやめないでいようとは思う。気持ちも立場も状況も見えている世界も、そもそも皆違うもの。たとえ真実とはならなくても、真実にできる限り近づけるように、考え続けていたい。自分の心も不安定なのに、他人の心なんてわからないことばかりだと思うけれど、自分と他人は違う人間、だから尊重するってこと、忘れずにいたいな。

 

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