こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在9月の記事、遡って更新中。)

ひとりうたおう

カラオケ行きたーいと思ったけど、近々外出の予定があるのでお金節約のためにやめた。代わりに部屋で歌ってた。いつも通りだけど。「曲を毎日聴いていていつの間にか覚えてしまいました」って感じより、歌詞見ながら(なんだったらフレーズごとに)何度も繰り返し練習する、というのが、私の“家で歌う”ことの中身だ。何かの本番があるわけでもないけれど、もっと上手くなりたいと思いながら小さい頃からやってきた。合唱団に入っていた頃は、“他人に持たれている自分のイメージ”にわりと縛られていたが、一人カラオケを覚えてからは、「なんだ、歌いたいように歌っていいんだ。」と思って、そこから自由になった気がする。幼少期からの習い事では、音楽の基礎とかを最初から手取り足取り教えてもらえたから、ものすごく感謝はしているんだけどね。合唱の集団の中にいることも、楽器を演奏することも、一人カラオケにも、それぞれに自分が“音楽”するための“宝物”と“必要”が存在している。

歌や演奏は、人に聴いてもらってなんぼ、の世界だが、私は自分発信のものにどれも自信がない。演奏のプロの人たちの“誰かのために”のような気持ちに、私は全然到達しない。自信がなさすぎてね、自分が誰かの“ため”になれるとは到底思えない。プロの人たちは、やっぱり人それぞれだとしても、それなりにプライドと自信を持ってやってる。自分の発信するものにちゃんと価値をつけて、人前に差し出してる。評論のプロだってそう。無知な上に自信もなきゃ、人の生み出したものに物言いできないもん。

私がずるいのは、自分が歌いたいだけ、演奏したいだけ、演じたいだけ、好きな気持ちを表明したいだけと、好き勝手な行動であることを主張しながら、「人様に見せれるほどのもんじゃないんですよ...」とおずおず振舞うところ。きっと人をイラっとさせるよね。でもどっちも本音なんだよ。結局のところ、自分のためだけにやってる。今私の言う奏でる側の“音楽好き”はほとんど独りよがり、完全に自己満足の世界だ。自分ひとりを満足させるための行動しかしてないんだ。もちろん(めったにないけれど)、私を褒めてくれる人が現れたら嬉しい、めっっちゃありがたいけれど、まだ「好きと言ってくれる人のために」みたいな境地には達していない。他人の評価が成長を促すってこともわかってはいるけど(その逆もあるね)、まだ私は人を納得させたいというより、自分自身に認めさせたい。前よりは上手になったって自分で思いたい。一生達せられないかもしれない願いを、他人の評価を怖がる故の言い訳にしている、となると...まぁそうなのかもしれないな。

もう何年もやっている短い歌をインターネット上に投稿することも、聴いてが3割、歌わせろが7割だ。(始めた時は聴いてが6割、歌いたいが4割くらいかな。今より恥知らずだったな...フォロワーも欲しかったし。)当然、フォロワーがついたり“拍手”が来たりするのはかなり嬉しいよ。そういうの要らないって言ってるのでは決してない。だけど、それ以上に、まず自分の歌いたい気持ちが発散できなきゃ、投稿で一瞬の満足が達成されなきゃ意味がないんだよ。フラストレーションが溜まっているのかな。大声出すとすっきりするのは人体の不思議の基本だもんね。自分の癒しにさえも、自分の声を使いこなせてないってことか。

 

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