こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在、時遡って更新中。)

継続って才能

結局どこまでいっても独り言なんだと思う。ここも他のSNSも。会話や伝達をしている気配はない。それでいい、それしかたぶんできないし。でも、それでいいの?とこっそり窺う自分もいる。オープンにする意味とは。私情を露呈する目的とは。

実は長らくブログやTwitterをやってきて、気づいたことは“私には継続させる能力も勇気もない”ということだ。様々なサービスに出会う中で何度アカウントを取ったか数知れない。小学生の頃からのHN変遷から考えても、私はどれだけ多くの仮名を作ってきたんだろう。仮名はいつまでたっても仮のままで、いつまでも私本体にしっくりくることはなかった。(余談だが、私は本名もあまり自分のものと感じていない。名前を頂いていること自体はありがたいのだが、それとこれとは話が別である。)

その時々に一応一番“納得”するIDやアカウント名やHNや源氏名(?)を選んできたつもりだ。これだけコロコロ変わってきているので、継続して私を知っている/知り続けている方は本当に本当に少ない。

ひとつのことを徹底して突き詰めていく。それは本当に美しく映る。特に私みたいに成し得ない者の目には。継続は力なりという言葉は小さい頃から素晴らしいことだと教えられていて、特に違和感を持っていなかった。自分にも頑張れば可能になる、そして習慣化するんだと、やればできて当たり前だと思っていた。でも大きくなるにつれて、飽き性な自分を知り、途中リタイアをいろいろ経験し、気が付けばあの頃から一本繋がってるのなんてこの身体ぐらい?なんて思ったとき、継続を実感していない自分の無力に失笑と溜め息が出た。継続は力なりという言葉は、一般的には格言で、私にとっては“外界”だ。存在は知っている、だけど未踏の地、みたいだ。

ある程度の継続がなければ、達成も感じにくいのである。時間的終結でもなく、質量的ノルマでもなく、過程のとあるポイントで「やったぁ~!」と思う気持ち。そういう達成感はなにもゴールに限らず継続の途中でも現れる。それなのにあまりそれを知らないというのは、そもそも継続(過程)がないからではないのか、と私は過去をふんわりと振り返る。何せ昔のいつを思い出しても、大体ふんわりしているから仕方ない。ただあんまり覚えていないだけ、ということもあるけど、やっぱり達成感とか継続とか、エピソードはほぼ思い出せないのだ。

人生においても“継続感”が薄いのだから、オンラインにおいてはかなり短いスパンで己を切り替えてきた気がする。別に毎度キャラ変をしているわけではない。中身はさほど変わってないつもりなんだけど(自然的な変化を除く)、名前が変われば多少生まれ変わった気分というか、別人になり替わった気がするのかもしれない。

気が短いから、目まぐるしく生まれ変われるというのなら、それもいいかもしれない。でも私のは違うかな。ただ単にひとつのことを長く続けられないだけだ。続けたいのに続かないのは、欠点だと捉えてしまっても仕方なくないかい?

毎度思ってることだけど、有言実行にならないからさらに痛い。せっかく始めたここも、長く続けられるようにがんばります。...いやでもがんばらない為に、がんばらない様に始めたんだよなー。うーーん。まぁ1回でも多く、「よし、記事書いたー」が言えるように、今日を生き延びます。

 

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