こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在9月の記事、遡って更新中。)

暇じゃない

Aboutページを更新しました。ざっと当方のことを載せてみた。
About

 

投稿1日目からだらだらと自分語りで来たけども、今後もさほど変わることなく、マイペースに、自分のこと・それらを包む周りのこと、書いていけたらなぁと思う。読むほうも、再開したいな。(以前は某ブログサイトにて読者登録しまくっている人だった。) 最近はめっきり“タイムラインを追う”ことに費やしてしまって....長文のエッセイやコラムを丁寧に読むことに必要性を感じている。

他人の文章を継続して読むこと、本を読んだり映画を観たり、入力する行動は世の中にたくさんあって、長年ずぅっと大事だと必要だと言いながら、なかなか行動に移していない。根本には自身の面倒くさがりがあるのだけど、それにしたって何故かそれら以外の行動に支配されていて時間がなくなっている。何故?家族や他人から見れば、私はかなり暇しているらしい(実際日々何もしていないし)。だから時間は有り余っているはずなのに、全然退屈を感じないし、暇つぶしで何かをしているつもりは全くない。私が、暇に感じなくても、実際人間としては?大人としては?何もしていなくて暇そうで、入力だろうが出力だろうが、いくらでも時間があるだろうに、できないとほざくウザイ奴ってことか。

こんなに余白があっても、どんなに必要だと感じていても、やらねばならない、やった方がいいことのためには、努力して時間を作らなければならないんだ。難しいんですけどー。

「どうせ暇でしょ」と言われると、その通りなんだろうけど心からの返事はできない。「ウン、ソウダネ。」はただの応答だ。そりゃあフルタイムの仕事して忙しい~って愚痴ってた頃と比べたら、全然忙しくしてないけど。してるわけないけど。だからイコール暇って言われると、なるほどそれが世の(your)価値観かと思う。

今となっては、どうしてあんなに動けていたのだろうと思う過去もあるよ。でもひとつの回答は見えていて、私の自我が薄かったからだって。その話はまた別のときにでもしよう。覚えていたら。

前回の話と多少被るけど、ともかく私のあらゆるスピードが遅すぎるのか、世の中が速すぎるのか、「私は“何もしない”をしているのだ!」と堂々キメられたらいいのだけどそんなに自信もないし。体感はさておき、時間は皆平等で、1日は24時間!なのだから、自分でうまく配分するしか仕様がない。暇ならその部分を使えばいいが、生憎暇じゃない(と思っている)。退屈を埋めようにも、退屈が見当たらない。スピードアップは一朝一夕にはいかない。今している行動の不必要な部分を削れば新たな行動を取り入れられるが、あまり不必要が思い当たらない。(そもそも不必要なら止めているし、無駄なものはあっても不必要ではない。)

捻出の意識がそもそも間違いなのかも。誰が見ても忙しそうな人の「それでもやりたいことがまだまだいっぱいで。努力して時間を作ってます!」っていうのが常識(意識高い系)というか“ありえる”ことなんだけど、誰が見ても暇そうな人が「時間がなさすぎる~」とか言ってるのは、非常識(怠惰系)というか“???”ってことなんだろうなぁ。これは....前途多難だワ。

私の退屈じゃない時間には無駄(かもしれない)行動がたくさんある。ゲームとか、テレビとか、ネットサーフィンとか、今こうして書いていることもそう、暇つぶしと評されたら世の中的にはそうなのかもね。息をしているだけのぼんやりタイムも、求めてない人にとっては“空いている時間”なんだろう。悔しいがそういうところに、できていないがやりたいことを詰め込んで、少しずつ望みを叶えることを繰り返していく。それしかないんだろうな、人間時間内で生き尽くすには。

 

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