こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在、時遡って更新中。)

書きます。

ただいま。おかえりなさい。お元気ですか?みんなたち。

ここも、リブートというか、編集し直して再投稿になる。初めましてとは言えないが、やあ久しぶりと手を振れるわけでもない。

インターネットから距離を置くべき、と言いながら、あちこちに新しいアカウントを作り、またこうしてここで駄弁ろうしている。
IDやパスワードを考えるとき、毎回失笑してる。「誰も求めてない」って、わかってはいるんだ。

文章を書くことが断然怖くなった。

昔は、吐き出したくて仕方なくて書かずにはいられなかったり、記憶や妄想の管理だったり、なくてはならないという思いで、立ち上げばら撒いていたけれど。一度離れてしまえば、飽きることを覚えてしまえば、当然、書かなくても生きてこられた。

きっとそれは、いまもそう。

私が文章を書かなくても世界は続くし、歌わなくても世の中に音楽は溢れてる、色を塗らなくても色彩は手に入るし、ここにいなくても地球は回る。

元々誰かのためにとか自分のためにとか明確な意志があってやってきたわけじゃない。始めるのも止めるのも、わかりやすいきっかけなんてなかった。

そうしてしばらく、いわば“平気”な日々を過ごしてきたわけなんだけども。
なんとなく、またやろっかな、と思った。本当は他SNSと同時にリニューアルとしようかなーとか我ながらいろいろ考えてたけれど、毎度のようなタイミング下手で、無理だった。

で、いざ書こうと思うと全く打てない。(PCタイピングの話)
小さなノートを引っ張り出して、好きなペンを選んで、一文字目を書こうとするけど、書けない。(手書きもやりたい人)

あーあ。私は自分にがっかりだ。大層がっかりした。

書きたいな~なんて、しれ~っと思ったから場を用意したのに、何も、ない。
それどころか、一番に思ったことは、怖い、だ。
実生活おしゃべりな私が、言いたいことが書きたいことがあると意気込んだはずが、最初の一歩も踏めてないその状況に怖くなった。

むしろ昔は何故あんなに無駄にべらべらと書き連ねることが平気だったのだろう。まさに駄文だし、これからもそうであることに間違いない。
若さか、無知ゆえか。今だってさほど中身は変わってないけれど。まとまりのなさは自覚があるし、未だに成長していない、悪化した感さえある。
何の意味もない駄文の吐き溜めでも、書きたかったから書いていたんだ。

だけど日常を送るのに精一杯で、ブログがなくても生活できている自分が確かにいて、嗚呼あれは必須ではなかったんだと思ったら、寂しくも軽くなった気がした。そして人並みの適応能力で“慣れる”と、長文書かなくても別にいいやーな自分、他の分野に“吐き出し”を求める自分、次々現れて、しっかり離脱した。(過去アカウントも消したし、ダッシュボードにも行かないし、読者登録もしなくなった)

そして、いざそれらの平気が普通になってしまった後、の今、怖さと出会った。幸い、今ここまで書いているということは、一文字目の書き出しはクリアしたということで、よかった、一発目をこれ以上後回しにしなくて済んだ、という一時的な安心感の中にいる。

次は続ける、という怖さがある。これに関しては今に始まったことでなく、以前からの、恐らく“問題”だ。私は継続ができない。
でも、これもまた、私都合の自由意志。誰に求められているわけでもないし、どのような経過を辿ってどのような結果を見ようが、“しったこっちゃない”んだ。

正直、自分が何をしたいのかわからない。ここで文章を書くことを決めたとて、だから何?と自分で思っているところ。

でも私は書くと思う。

インターネットだって各種SNSだって、なんだかんだ言いながら結局開いている。呟いたり消したりしている。サヨナラも一つの手だと知りながら、もっと上手い関わり方を、なんて、甘っちょろい考え方で延ばしてる。

書きやすさや読みやすさにおいては、ざっくりでもテーマとかジャンルとか決めた方がいいんだろうけど、計画をきっちり立てることに力尽きて計画倒れの本末転倒が自分の特性としてあると思うので、ここは一旦保留で。
なるべく、思いついたこと何でも書いていきたい。だから本当も偽物もごちゃまぜだと思う。しばらく文章自体書いていないから、ブランク明けのリハビリが長く長く続くだろうけど。

世界で誰も私を知らないとしても、私自身はもうこの世でわりと生きているから、今更“Hello世界、ハジメマシテ自己紹介”なんて、ちょっと恥ずかしいし書けない気がするな。でも、手の内は明かさなくても、指一本ぐらいは差し出す勇気も必要かもね。次、気が向けば書くかも。