こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在、時遡って更新中。)

隙間を満たして消す、その繰り返し

毎日(といっても本当は毎日出来てなどいないが)、一体何を書いているの?と訊かれる。う~ん何だろう(へらっ)と言いながら、日記ということにしている。実際はそれらしいことはしていないのだけども。“脳内漏洩”と言っても、その人たちにはわからないでしょう。もっとも、本当に私のやっていることに興味が湧いて訊いてきているのではない。「それじゃなくて、もっと生産性のあることをしろ」と言い換えたいに違いない。“成果”の無いことに浸ってるようで、有意義には見えないだろうし、実際“意味”があるとも思えない。「やりたいこと」も「何でも」も「自由」も便利な言葉で、即ち都合が良い、それをチラつかせては、私の目の色がどうなるかを見張っているのだ。

リアルタイムで見ていればおわかりの通り、私はとうに自分との約束を破っていて、だいぶ更新をサボっている。停滞しがちなこと、その後の対応も含めて、私の性格だなぁと思う。易々と自分を甘やかす。脱線を許す。普段のお喋りさえあっちこっち行くのも、同じことだ。淡々とこなすことが目的の時も、中断を繰り返したからって、別に反省していない。罪かしら。でも結果だから仕方ないじゃない?全てを放り出さないだけまだマシ、と 自分をかばうのも年々慣れてくる。よくないね。自覚はある。

2月は不思議とリスタートの気も高まる。過去の経験ゆえだろうか。もちろん何かと節目を勝手に見つけてきてしまうのだが、新年や年度初めや誕生日ではない、独自の始まりを感じる時期がある。それが近づくと、何かとリセットしたくなる。わりと定期的に発動する癖ではあるけど、特によく過る。“始まり”という区切りをつければ、何かが変わるのかなと、もう無意識に期待しているのかもしれない。また奇跡が起きないかと。また人生が大きく変わらないかと。しかし結局は自作自演だ。変えようとすれば変えられるし、変えなければそのまんまだ。いいかげん、“現状維持”にも“継続”にも、それなりの価値を見出さねばと思う。いつまでも「しっくりこない」と言い続けているだけではダメだと、わかっては、いる。

私はわりとテトリス脳というか、穴を埋めたくなる質なので、しばらくはまた“作業”を続けると思う。空いた日付分を何かしらの脳内の雑談で埋めて、1周年には間に合いたい気持ち。でも無理な気もするなぁ。できる限りはやる。脱線回避の環境についてはやっぱり少し考えようと思う。脳内だけじゃなくて、現実の部屋も視界も、結構とっ散らかってる気がする。視界がうるさいのは結構ネックだし、いくら過集中時周りをシャットダウンしがちとはいえ、音もそれなりに気になるものだな。と、最近父と同室で過ごすことが多くなって気付いた(※光熱費節約のため)。よく診断モノでも言われる通り、私には完全なる一人になる時間が多めに必要なのだ、やはり。

 

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