こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(更新停滞中。)

如月に浸出し

あら。気が付きゃ2月。新年迎えてあっという間にひと月だ。でも確か、去年も一昨年もたぶんこんな感じ。私を邪魔するものも何もない代わりに、私を焚き付けるものも虜にするものも導くものも何もない。また空白を埋める作業になると思うと少し憂鬱だが、今の唯一能動的な場所だ、自分だけの為にやることは全部“悪いこと”というわけでもないだろう。

自分語りばかりするのは他人に興味が無いからだという。他者と何かしら“交換”するつもりもないのに、自分のことを知ってほしいと願ってのことだとしたら、最終的な目的は何なのだろう。自分語りの行動としての自覚はあるが、自慢だとか自己開示だとか感情の目的は自分でもよくわからない。他人に誇れるものも別に無いし示せない。「私です」と登場して「で?」って言われることをわかりきって現れているし表している。追い込まれて気に病んで頭抱えてまでやることではない。それでも変に使命感みたいなものを嗅いで、なんだかその気になって、勝手に「やらねば」としているのは、単に自己満足の為、それだけだ。

今の生活は本当に時間の感覚を失っていく。毎日見事に淡々と過ぎて、もはやそれぐらいしか語れることもない。近しい他人との距離感を考えるけど、声や顔も曖昧になっていくし、温度感ならもう猫のぬくもりが基準になっている(猫は人より体温高いはず)。現状に、自分がジタバタしないことが、自分でも不思議だ。いろんなものを失い、傾いていくのに、何故慌てていないのか。否、焦燥感がないわけではない。落ち着いているわけでもない。ただ目に見えてわかる活力はない。私が体感しているより、世界が速い気がする。他人から差し出される“時間”にまるで実感が持てない。

そうは言っても今は冬。まだ冬なんだって。外気温を避けた人生だから、あまりわかんないけど、やっぱり寒いよね。昔は雪の中ざくざく歩いていたはずなんだけど、もうすっかり忘れてしまった。電気と炎に常に守られている毎日。そりゃあ軟弱になるわな。当たり障りない会話の中に、季節を盛り込む。なんとか今自分が居る状況を、再認識しようとして。それもまた心から望んでるとは思えないから、記憶が定着しないのか。未だ誰にでもふわふわしてると思われているだろうな。狭い部屋が“世界”になりつつあると、それこそ毎日責める声が聞こえる。空耳かもしれないけどね。去年も同じように暖房抱えてお尻に根が生えてたかしら。これは完全に退化だ。言い訳もなく。

 

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