こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(更新停滞中。)

鮮やかな世界の真反対って

思ってた以上に間に合ってない。が、それでいいことにしよう。未投稿の日付分もまだまだ残っているが、義務ではないのだからこれでいいのだ。そう自分に言い聞かす、というか言い訳だな、不甲斐ない自分に対する自己フォロー。作業環境はいくらでも変えられるのに、誘惑の多い場所でわざわざやっているのは結局自分に甘いということだ。そういえば、もうしばらく“必死”になったことがない。“緊張と緩和”大事だし、「一生懸命は自分の為だよ」と言われるし、たまにはガムシャラに...と数ミリくらいは思うけれど。実際の70%くらいをフルパワーだと思い込んで長年過ごし、今はいざと思っても50%くらいしか出ない、通常は20%ぐらいで生活...と、“必死”の“なり方”がもうわからなくなってしまった。

どんどん興味を失っても、残っていくのは短絡的な快楽だ。苦行を避けて不快を避けて、自分の心が掻き乱されない方へ留まる。緊張して身動き取れなくなるのも、サプライズで心臓が飛び跳ねるのも、憤怒で頭に血が上るのも、「要らん要らん」と思ってる。“何もなくなること”は、まだ“おもしろくない”とは思っているけどそれでも“浮き沈み”に首を傾げるし、“何も起こらない”“何も思わない”ことが=安心・安定と思い始めている。少しずつ水分が抜けてく感じ。ツヤがなくなって、マットになっていく感じ。

一日が短いのは夢の延長のせい、とは言っていたけれど、目覚めはさほど気持ちのいいものではない。最中で笑っている画は少ないし、大体いつも睨みつけるように起きる。でっろーーーん、という効果音で。夢より現実の方がわりと静かだが、世界観が全く違っていても心情は似ていて、「良かった」と思うことはあんまりない。(夢の方が若干“興味深い”感じはあるかな。)夢の話をしていると『パプリカ』を思い出す。夢が現実に浸食してきて恐ろしいことになっているけど、実際の“浸食”は個人の中で、静かに、もう既に行われているかもしれないね。現実逃避が日に日に延びて、“理想の現実”はもう実演できないくらい残り時間が短い。必須の項目(例えば生命三大欲求のような)を少しでもクリアし続けなきゃ、現実逃避すらできなくなっちゃう。「もう引退したような顔して」と言われだしたけど、本当の引退を度々意識する、それを繰り返してる人生、ではあるけどね、そんな顔してるかな、目が死んでいる?

子どもには子どもなりの砦の形した枷があり、大人になったらなったで望まずともしがらみが現れる。若いからいいね、年の功だね、未熟だからこそ刹那の美しさがある、最期に近づくほど積み重ねてきた重みがある、人のことも自分のことも、何とでも言える。肯定すればするほど失われるものは?答えなど聞いちゃいない謎解きだね。

 

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