こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在、時遡って更新中。)

Remind

希望はあるかと訊かれてないと答える。求められているのはその内容だとわかっているけれど、何もないということは絶望というわけでもないよ、と茶化して言ってみたりする。何かを選び取るのを待っている視線を感じている。私が立ち上がりすらしないので、周りから「Oh...」と洋画ホームドラマのSEばりの声が聞こえてきそうだ。

私が当時そうだったように、冬休みの宿題それ以上に、年明けの登校再開を今から憂鬱に思う子供たちを見ると、全部全部、今だけの問題だったらよかったのにね、と思う。現実はいつまで経っても憂鬱だ。同じよーうな似たよーうな気持ちは何年経っても、大人になってもやって来る。「救いのないことを言うな」って誰かに怒られてしまうかしら。

あの時に、あの頃に、とは他人から言われることの方が多いけれど、あれは単なる質問だろうか。私自身は大した後悔はしていないのだ。全く無いと言えば噓になるが。たらればで妄想する分には楽しいし、「もし異なる選択をしていたならば」の結果がわかるのなら是非教えてほしいけれど、今の所誰も発見できてないじゃん。過去の小さな異なる選択が大きく今の私を変えた“かも”しれないけれど、それが幸か不幸かはわからない。「あの頃に戻れたらもっとちゃんと...」と思わなくもないけれど、現記憶を保ったまま過去を再度生きられるとしても、結局同じ選択をしちゃうんじゃないかなと思ってる。私の本質というか、本能が、ここまで導いてきたのだとしたらね。今の私に、「できるなら過去をやり直したい」と言ってほしい人がいるの?後悔して、落ち込んで、項垂れてほしいということかしら?「間違えてきた...そして今も」と肩を落とす私に「悔やんでも過去には戻れないんだから」と当然のことを告げ、諭し、励ますことでマウント取ってくる人とかもいるのかしら?なーんてね。人を疑いだすとキリがないし、なにより一番信用ならないのは自分。「後悔なんて無いよー」も虚勢かもしれないし、誰も私の懺悔もたらればも、熱心に聞く必要はないんだよ。だからあんまり、過去の選択に注目してほしくもないな。

時代が変わって「これが子供の頃にあればなぁ」と思うものも出てきてるよ。でもリアルタイムで進行中の命は、その時間空間でしか生きられないから。今の社会に中学生の私がポンとやってきても、現在の歳まで生きてられない気がするなぁ。あの時代だからこそのほほんとしていられた気もする。どうにかこうにか繋がってるのは、私の本能だけじゃなくて、生かされた世界のおかげでもある。今が満たされているというわけでもないが、“足りない”がそこかしこにあって、それはそれである意味幸せ、だったのかもしれないね、あの頃。

 

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