こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在、時遡って更新中。)

膝にお乗りよ

昨日の『猫も杓子も』も面白かった。NHKネコメンタリーというお気に入りの番組なのである。以前から、猫そのものにも、猫と作家という関係性にも、それなりの興味を持っていて、この番組に出会えたのはラッキーだと思った。本日(当日ならば昨日)、番組へさらに愛着が増したのは、近頃うちの猫も、私がブログを書いている間、膝に乗ってくるようになったからだ。「もの書く人の傍らには猫」というコピーの通り、それは憧れであったが、今(私の場合なんの生産性もないので名立たる作家さんたちに並ぶ気は滅相もないが)、まさしく私の膝に愛しきお猫様が寝息を立てているのだ。私が才ある人間だったなら画になる光景だが、生憎私はただ猫を傍に置いたどうしようもない自分語りお疲れ人間なのである。

きっと、猫をテーマにすれば、なんかいろいろ書けそうな気はする。けれども、自分の脳内劇場からは少し離れて、実際に目の前に居るお猫様のことを書くとすると、なんだか恐縮で、たぶん上手く綴れないだろうな。ペットとしての可愛さを語ると安っぽく、家族としての大切さを語ると堅苦しく、生物としての猫を語るにはあまりにも知識が足りない。それでもこの生命体を“お猫様”と呼ぶほど慈しみたい気持ち、なんだか自分でも他人でも、この様相を実は不思議に思っている。“人は何故猫を愛でるのか”なんて番組も見たことあるような気がするけれど、「そんなんどうでもいいから~」とか言って、それこそ『猫も杓子も』や『ネコ歩き』のような、うちの子じゃなくても“猫”という生き物をただただ眺めていたい気分の時が大半なのだ。

うちの猫が膝に乗るのは私との信頼云々ではなく、単純に今の季節が冬で、ストーブの近くに席を置いていて、そこが一番暖を取れると思ったからではなかろうか。恐らく、たぶん、ほぼほぼそうだろう。それでも、じんわりと伝わってくる温もりに、控えめに響くゴロゴロに、私とは決して「無関係ではない」「他人ではない」という安心感を与えられている。私の盛大なくしゃみにより、猫にとっては地震の如く大きく揺さぶられているのに、そこに居座り続けるのはたいしたもんだと思う。安心しているのか鈍いのか、時折私が鼻をかむのをじっと見つめてくる以外、いつのまにやら目を閉じて動かない。正直言うと、私のこの一連の動作はアレルギーによるものなのだよ。つまり、猫を膝に乗せながら、猫アレルギー(中度)に耐えているのだ。症状が出ない時もあるから悩ましいものだが、今日は特に酷い日になったね。(自律神経との兼ね合いもある。)メディアで、猫に生活を満たされている人を見るたび、親近感やら仲間意識やら、いろいろ勝手に感じているけれど、私にとって必要な感覚であることは間違いない。例え目がかゆくて鼻がかゆくて爪が当たった肌がかゆくても、私は猫を愛でるし、猫を愛でている人を見守るし、共感し続けることだろう。(※アレルギーに対策が必要なのは自覚しています。重症でアレルギーに殺されないよう頑張ります。)

 

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