read more
「読書が好きですか?」と訊かれれば、「はい。」と答えるが、私の蔵書はかなり少ない方だと思う。“本好き”の人でも、「読むのが好きなのであって、所有したいわけではない」という人もいれば、「本の重みで部屋の床が抜けそうで...でもまだまだ積読もあります...」という人もいる。私はそのどちらとも言えず、然してかっこいい理由もない。気に入った本を何度も読むし、“開拓”はこの“ものぐささん”には実に億劫なのだ。オススメを紹介されるだけではだめで、ちゃんと目の前まで差し出してほしい(ワガママ)。もし気に入ったら、結構な熱量で感謝すると思う。
子供の頃、クラスに一人はかなり本好きの子がいたよね。私の場合は、読書量のすごい子がクラスに何人かいた。そういう子たちを前にして、自分も「本が好き」とは言えなかった。「好き?うんまぁ普通ぐらい?」と言っていた。図書室の貸出カードが何枚も連なる子が当時の親友だった。対して私は1枚。「その程度しか読んでないのに、本当に読書好きなの?」って言われそうでなんだか恥ずかしかった。(実際そんなに嫌味な友達はいなかったけれども。)不登校でも図書室には入れたのに、全然借りていなかったのだから当然っちゃあ当然なのだが。全くもって“読書家ではない”ことを自覚していたのに、あるとき国語の先生が「たくさん本を読んでいるからこんな素敵な文章が書けるのです!」と私を評価してびっくらこいた。いやいや、褒めてもらえて本当に有難いんですけど、私そんなに本読んでませんて...。いたたまれなさが半端なかった。私はこれまでの人生通して見ても、読書量も少なければ高尚な本も読んでいない。そこにあるのは娯楽や癒しで、何かを勉強したとか、自分の実になったという実感はない。あれば嬉しいけどね。あと、結局口だけになるからあんまり言わないんだけど、本当はもっと読みたいし買いたいんだよ。図書館でもいいけど。ただ、“1日の時間は限られている”“怠惰”“行動がとにかくトロい”とコンボして、実践にならないんだ。新刊とかになると“お金がない”も加わるね。
“読む欲”を満たすには、電子書籍でも全然いいと思うし、私も文明の利器にちゃんと肖ってみたいなぁと思ってるのだけど、“読書感”を得るにはやっぱり紙はなくせないなぁとは思う。紙の手触りにこだわってるとか装丁のアイデアとか、そういう話聞くのすごく好き。ページをめくる感覚とか、沢山触って擦れたり汚れたりしていく感じとか、自分の手元には残しておきたいものだ。そうやって紙で所有となると当然嵩張っていくことは避けられないが、それありきの生活をこの先成せたら素敵だなぁ。
余談だけど、速読できたらもっと時間を有効に使えるのかなぁ。でも普段の行動から遅いのに、読むことだけ速くするなんてできるのかしらね。