こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在、時遡って更新中。)

吐いた分だけ吸えるのだとしたら

こんなに時間は有り余っているのに、相変わらず“入力”が少ない。本とか映画とか音楽とか漫画とか人の話とか学習とか、自分に取り入れるものの話。入れるものが少ないのだから、限られたものでやりくりしているのはお金も言葉も同じで、少ない語彙や気力で「何か書かねば」「何かやらねば」と思っているうちにまた日が暮れる。いつだって、敵わないし叶わないのだ。吸う前にまずは吐かねば、と歌の時教えてもらったけれど、ちょっとばかり吐いて吸う間もなく倒れている。無念だ、なんて、努力のかけらもない私は口にしてはいけないと思う。

世間に新刊が出て、ちらほらと読みたいなと思うものに出くわす。リアル本屋も、行くまでは面倒だけど行ったらいつも楽しいと思っている。でもお金や時間を言い訳にしていつも何も手にせず店を出る。何しに来たんだろ...って毎回思うけど、買って解消される日はなかなか来ない。読んで満足するのならば、今所有しているもので随分可能だと思う。気に入ったものを繰り返し読むのが元々の性質だから。開拓が難しいのは現実社会、人間関係、好奇心や興味の行き先、全部同じだ。

電車に乗っていても、車を運転していても、ふと「何してるんだろう」と思うことがある。運転に集中してないとはそれなりに危険なわけだから、癖なら治したいと思うのだが、「目的はなんだっけ」とか「何故ここにいるんだろう」とは状況関係なくふと湧き出てくる“疑問”なのだ。外からの情報を取り入れなければ、と思う反面、シャッターは閉まっているのがデフォルト。アンテナ張りまくってキョロキョロして注意散漫ならまだしも、他所に集中しているわけでもないのに、現在進行形の事を「これなんだっけ」と思ってしまう。瞬間(というほど短くもないが)、意識が逸れてまた思い出す。浮いて、地上に立ち直す感覚。“無我夢中”は遠い遠い存在で、ひとつひとつに全力尽くす気になろうとしてもなれない。

全く外界と触れ合っていないわけではないが、多くの繋がりは一時停止している。情報を得るだけの一方通行か、こちらがこうやって語るだけの一方通行か。“相互”関係から少し遠のいている。嫌いだとか嫌がっているわけではなくて、ただちょっと疲れを感じてしまったから、時間内でもシャッターを閉めてしまった、という感じ。私が、目を閉じ耳を塞ぎ、そこから一歩も動かなければ当然、新しい刺激や情報は得られない、関係性は始まらない。あくまで私が動かなければ“入力”は叶わないとわかっているのに、指一本も動かない気持ちなのはなんでなんだろう。“集中”していないのに、頭の中は謎の“考え事”でいっぱいなんだ。

 

自分に取り入れる 語彙力 本屋 相互関係 集中できないAmazonで検索