こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在、時遡って更新中。)

余談ofいないいないばあ(いない)

余談として極々個人的な、切ないかもしれない話をする。私は友達を失ってきたのだと思う。最初からいなかったのではなくて。(いや、感覚的にはずっといないのだが、社会生活上、友達と呼べる人たちは確かにいたのだ。そういう過去がある。)しかし、私が親友だ幼馴染だ腐れ縁だと言ってるアイツも、私が意識しなくなれば無いも同然の関係性だろう。細かく言えば、私が年1のLINEもせず、アカウントを消せば、きっと繋がりは終わるのだ。相手からアクション起こすことはない。だって用がないから。住所だって顔だってたぶん覚えてるけど、アイツの人生には必要ないことなのだ。(誕生日も忘れられてるし...なんてのは我ながら器が小さいなぁと思うけれど、事実だもんね。ぷん。)それから...それこそ保育園からずっと同じクラスで受験のとき個人的に励まし合った友達も、私が学校や同窓から距離を取りだしてからだんだんと疎遠になり、あちらの就職おめでとうを最後にメールアドレスも変えられてて、結婚の予定すら他人ヅテに知らされた。私の子供の頃はその子との思い出ばかりで、成長してもずっと大好きだったのに。しかし物理的距離をとったのは自分だ。道が分かれていくのは各々の人生だから仕方がない。いつのまにか始まっていた片思いを唐突に気付かされた気分だ。向こうから絶たれた連絡手段、こちらからアクセスする術も勇気もない。今でも心の中で応援しているよ。大切な仲間たちとも、距離ができてしまったと感じている。実は私の方が不義理をはたらいたのに意外(というのも失礼)な人からたまたまでも誕生を祝われて、より切なくなった。一応言うと、別に誕生日を祝ってくれ~とか言いたいわけじゃない。むしろそれは忘れてても無問題。どういうスパンかは人それぞれ違うから、今一概には言っちゃいけないことかもしれないけれど、私の存在を意識することがその人たちにあるのか、そこは気になるね。かまってちゃんに聞こえたら不本意だし、解釈が違ってたら申し訳ないけど、全く意識しない・思い出さないってことは、そりゃ確実に友達or仲間とは言えないよね。現在進行形の意味で。もちろん、皆自分の人生に一生懸命で、他人に構ってられるかってのは真理だと思うよ。しかしその中で“友達・親友います”って人がいる。私をそこに該当させている人はいるかっていうと......たぶんいないって考えてるんだよね。(ここでいう皆が実際どう考えてるかはわからないよ!あくまで私の妄想です!あしからず!)私がどんなに誰かを好意的に(友達や仲間として)思っていても、相手はそうではない、嫌いとかじゃなくて特に関心なしというか、意識しなくても支障がない存在、というところで、相互関係が成り立たないなと思った。私の前から出るベクトルだけがあって、相手の前は空欄だなって。逆の場合もあるのかしら。私が物理的に距離を空けて(それはただの生活上の都合だったりするのだが)、相手がそれを“拒絶”と取ることもあるのか。それが真実じゃなくても、“かみ合ってない”って所はやっぱり同じなのかな。生活状態が違うから、環境が違うから、もっと言えば個人が違うから、重なる部分があれば磁石のように引き合える、それがなければ(もしくはなくなれば)自然と離れる...悲しいけれど切ないけれどそういうものなんだろうなぁ。もはや関係性に名前が“つけられない”。なくなったら、本当に無理。私に友達はいないけど、片思いならいくつもし続けている。憧れたり、応援したり、尊んだり、祈ったり。自分が飽きるまではたぶんこのままでしょう。

 

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