こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在9月の記事、遡って更新中。)

何度目か数えないで

いろいろリニューアルを試みた。ただの自己満足だ。他の何にも影響はない。実際多少は四苦八苦してるものの、よく続いたほうだと思う。ひとまずはここまでの私に参加スタンプ花丸をあげよう。自分のことばかりつらつらと書いてきたはずだけど、案外「私って何者」感は消えないね。まぁ何者でもないんだけども。

自己分析はしても、自己表現のバリエーションは少ない。自己紹介は実は得意ではなく、自分のことは自分でもよくわからないのが本音。いろいろと発信物に手を出しているけれど、別に意図はないんだよなきっと。暑かったらクーラーつける?くらいで、思いついたら何か載せる?って感じ。最近は、表に出してないことが増えたけど、それも我慢してセーブ...ってわけじゃなくて、やる気が起きなかっただけ、それだけ。

自分って何してる人?って訊かれても、「うーんなんだろうねぇ。何もしてないよ。いや本当に。」としか答として挙げられない。だって本当に、何もしてないし。役割も肩書きもない日々を過ごしているよ。自己満足の極みみたいなこのブログも、今やめたからってすぐにしぬわけじゃない。何回も書いてきていることだけれども、「どうにかしなさい」って言われ続けてるから。どうにもならないから、“こう”なのにねぇ、なんて言いながら、どうにもしないからだってわかってるよ。開き直りは本当に罪深い。

私の尊敬する人たちが「自分の命を存分に使い切って」と言う。素晴らしい言葉だけれども、そのステージにいる人だから言えることだとも思う。使い切りたい方向性がわかっている、自分のやるべきことがわかっていて意欲と一致している、何段もクリアした後の新しいステージにいる人。私はまだそこにすら辿り着いていない。何も達成していない。だから同じようには思えないの。どう使い切るかよりまずどこを見るか、必要なのは勇気か、やる気か、奇跡か、わからないままだ。

私は一度、奇跡を経験している。実力でも運でもない、たまたま得られた経験値。そんなのは二度と起こらないと思う。寂しいけれど、当然とも思う。あの頃も今も、私自身の何かが効用するとは、自信を持って言えないのだから。じゃあ代わりに...と沸き起こるやる気と努力が、“自然”に組み込まれてこないところが、どうしたって私の最大のネックだ。わがまま言うなと言われてすんなりやめられるものか。自信を持てと言われて簡単に習得できるものなのか。

才能ありますだの、人の親になりましただの、こちらが卑屈になればなるほど、ただの事実が自慢話に聞こえだす。けれど輝きには素直に「いいね」と言うよ。疎むのは私の役割じゃない。私は欲しいものは欲しいし要らないものは要らない、そういう自分を保持したくてもがいている。というのは、今までできてたことが近頃できていない、そういうことだろう。ずっと“いい人”で居続ける必要はないけれど、その成分ゼロにはなりたくないね。怠惰のまま今を活きるって、難解そうだね、と他人事みたいに呟く自分を、これからもよろしく。

 

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