こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在9月の記事、遡って更新中。)

啼いている

思いつきは悪いのに、端的にまとめることもできない。どっちにしろ表現には向いてないなぁと常々思ってきた。延々と続くアートにときめくことも多いが、研究するには気が短すぎる。止め処なさと飽き性は矛盾しているようで両立している。人が長所としてくれたところも短所だと捉え直すあたり、揚げ足取りの悪い癖が出ている。十分に自由なのだから、いっそ不自由を楽しむ心意気でいつも居られたらいいのだけれど、視野の狭さが、自分で自分を苛つかせている。事実というのは実に強固だというのに、あまり頼りにできず、夢の話ばかりメモに取っている。知らないことを知るのは楽しいけれど、年をとるほど知らなければよかったと思うことも増える。ウブだ純潔だのと騒いでいる人たちとは分かり合える気もしないが、いつまでも綺麗で複雑でシンプルな世界を見ていたかった。自らの実体とは別の、視界の中だけで生じる希望だ。それを眺めて安心していられたら、この身体の行方すら正直どうでもよい、くらいに思えた。普通じゃない世界に行けば、普通過ぎる自分はきっと居心地が悪いだろう。けれども普通に囲まれる世界に行けば、息苦しくなる。自分には何の特例もかかっていないのに、どうしてこんなに気が休まらないのだろう。ダークな世界観とか闇抱える性質とか、形としては美しいけれど、本物は目に見えるものとは限らない。見た目はもっと朗らかで素朴で、欠片ならミステリアスで済ましてもらえるかもしれない。中身が全て飲み込むような底なし沼だったとしても、誰も気が付かない。もっとも、そんな強い自我を易易と扱える器はなく、最低限の重荷しか背負えない程度の体力だ。物質ではないものの方が、自分には尊く、恐ろしい。無理して陽を持ち歩くこともないけれど、要らぬからとすぐに投げ捨てられない。陰も同じで、積極的にかき集めているわけではないのにどこもかしこも...なそれらを、簡単には手放せない。探さなくとも自分はここにいるのに、どこにもいない気分になる。なぜ他人目線になるのかはわからない。らしさを追えば追うほど、本来はどうかと突き詰めるほど、比較を繰り返し差を広げて、現実の姿と乖離していくようだ。もう今のこれが本来だろ、と腑に落ちれば、捜索は終わると同時に思考停止だ。ありのままの自分は現時点のありのままで死ぬ。できないことができるようになるのも、他人との関わり方も、自意識の管理も、ありのままならこれ以上はない。それなら、自己評価なんて最初からなく、もはや自分ではない自分探しをして、見つけた何かに自分と名付けて、ソレをやるしかない。実は、これこそが自分だと何度も何度もこっそり思いながら、ずっと間違い探しをハズし続けている気分だよ。

 

一文ずつ、逆から読んで行く遊びが、できるかもしれない文章。ま、初めからでも終りからでも、意味はあんまりないのだけれど。

 

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