こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在9月の記事、遡って更新中。)

one word too many

言わなくてもいいことを言っちゃうところがある。明かさなくても支障のないことを言っておかねばという気になることも。(他言無用は基本守りマス。)分量的に喋りすぎるところ、“嘘も方便”が活用できないところもある。自分の理解力も他人の理解力もすぐには信用できないので、また実際上手く伝わらずに誤解されることが度々あるので、ついつい説明的になってしまう。そして蛇足も多い。意外とすんなり収まったなぁと思う経験もしているのに、散々思考した結果の余計な一言は、完全に癖だ。

聞かれてもいないのに、元恋人の話を現恋人にするのは不要なことだろう。話の主軸は相手なのに、友達の境遇について自分との共通点を披露するのは、世間話という許可を貰えたとしても、やっぱり余計なことだと思う。秘密の共有が親密感を作るというのが事実だとしても、相手が困ってしまうような己の秘密を唐突に押し付けるのは、もはやハラスメントではないか。「それ別に言わなくてもよかったよー」で笑って済ませられるならラッキー。「それを話すことによって関係が悪化する」ということが、数は多くないけどあったりもする。話す分量が多すぎるのは子供の頃からだ。内容については...大人になって分別がつくつもりでいても、あんまり変わらず“言ってしまう”。嘘はない、本当に本当のことなんだけれど(もしくは本当だからこそ)、“言っても言わなくてもどっちでもいい”から“言うと逆効果かもしれない”ことまで、無意識に零してしまうことがある。無意識だからって、自分の発言に責任が無いわけではない。“適量・適当”を学びたいと長年思っているけれど、結局一つとして同じパターンがないため、ちゃんと出来ずにここまで来た。

なるべく意識し続けたい。でもこれが私、でもある。人を傷つけるつもりはないけれど、“自分”を正確に(完全に)伝えたい気持ちもある。“する”も“しない”も完璧は無理だな。できる限りトラブルは避けたい、できる限り“そのまま”でいたい。体感し続けることでしか、“ちょうどいい”を知ることはできないのだろう。

本心をなかなか晒さない、天邪鬼を自称していたときもあった。照れ隠しやごまかしで本心と反対のことを言うってことだったけど、実は違ったのかもしれない。反対のことを言って、逆を裏を言っているつもりで、いつのまにか、それ自体が本心に移り変わっていたのではないか。つまり矛盾に修正をかけて正直者になろうとしていたということだ。いや、今思いついただけだけど、もしかしてと思った。複雑に考えるのに少し飽きたのかもしれない。かと言って、全てを正直に、真正面から、全力で、余すことなく、垂れ流すのはなんか違うと思うけど。

 

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