こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在9月の記事、遡って更新中。)

ある炎上についての思考メモ。前編

近頃見かけた“炎上”ともとれる案件について、いろいろ思考したのでここに備忘録として残しておく。内容の前に、私のナイーヴな人格を守るため保身に走る“前置き”を示しておこう。誰も読んでいないようなココに書かれていることが、社会に何かの影響を与えるとは到底思えない。なので私の書きたいことを書きたいように書く私の箱庭、において、当事者を傷つけたり非難する意図は全く無い。もちろん、何かの上位に立つつもりもないので、教示や指南の意志もない。ココの全ての文章に対して言えることだが、“ただ私が思った”それだけで通している。もし、ココに訪れ、文に目を通す方がおられるなら(いらっしゃればの話だが)、小川を流れる葉っぱのように、そっと見送っていただきたい。

まず自分宛として、案件についての詳細は、Twitterを再確認せよ。某氏の悩み相談に寄せられた、14才を取り巻く恋愛・親子・将来問題について、その回答・それをメディアコンテンツとして公開されている事実に対しての意見見識。私の思考形式が対比から始まるため、揚げ足取りのようになって申し訳ないが、冒頭から気になる部分について、引っ張り出しては私見、というやりかたになってしまう。ここまででもう既に長くなりそうだなぁと溜息、だが記録を欲しがるいつかの自分のため、もう少し打ってみるとしよう。

そもそもその“悩み相談”はライトなのかヘビーなのか、受け取り方は個々其々なのだろうが、私には回ごとに印象が違っていて、時々その上下についていけなくなる。私自身の心の状態も関係しているのだろうけど。基本的には深刻度をレベルわけすることなく、大衆というよりは相談者一人ひとりに対して真摯に答えていらっしゃるイメージだった。しかし今回取り沙汰されている案件についての私の第一印象は、“ユーモアを混じえて”の域を超えているな、だった。真面目で堅い内容の中にチラリとユーモラス、というのは文章や表現の中で大切なスパイスだと思っているが、悩み相談の中の適量というのは書き手の裁量だと思うし、相談者の意向によっても変わってくるだろう。

私は、大概のことは当事者同士でのみ決まる落とし所が在れと思っているし、真に本人が良ければ良いと思っている。年齢性別に拘らず全ては自己責任と言い放つのは、他に対して自分が責任を負いたくないという“私は無責任”主張と裏表だ。その一部のズルさを私も自覚していて、自己責任すら満足に負えずして他までとは何事か、と単に覚悟の無さを露呈している。

どの場面においても、人生相談と言われるものは、人生のほんの一部を切り取られたエピソードだけで、人ひとりの“全て”をわかるわけではない。そして声色や感触のない、文章のみから、その熱量を知ることもまた、難しいことは皆わかっている。綴ること読むことは手軽に始められても、伝わること汲み取ること理解することはそう簡単にはいかないのである。

あれやそれやを踏まえて考えると、“悩み相談”を公開するということ自体、コンテンツ化すること自体、なんなのさと言う人も出てきそうだが、私はそれこそ前述通り、本人達がよければいいんじゃない、である。あと、メディアにしてくれたから、私は今回の件を知れたわけだし、思考の種を頂いたということに感謝している。コンテンツ化がもし罪ならば、それを元に思考しココに綴って公開している私も同罪なのだろう。前置きや注釈や脱線が長くて多いが、それが私の箱庭作業なので許して欲しい。ともかく、相談者が公開されることを了承し、自分でこの人が良いと思って相談を持ちかけた相手が当の回答者なのだから、それは本人達が良いなら良いのではないかと思う。一旦ね。

真面目をからかう風潮は好きではないが、パフェ一個で手を打っちゃる ぐらいの友だちノリで持ちかけられた相談に、あまりにも実直に丁寧に返されると、逆に相談者の方は引いてしまうのではないか。だとしたら、残念なことだが熱量や深刻度が噛み合っていない、非・適材適所だなぁと思う。気軽に尋ね、気軽に答える、その様子は読者からすれば面白みがなくなるのかもしれないが、それならそれでOKなのだ。そして、先のパターンの逆―相談者は大真面目なのに、回答者が“ある程度”の場合はどうだろうか。量るにも限度があるが、事はとても深刻に思える。相談者の真剣味は、本人無自覚な場合もある。実は重大な出来事も、若さや未熟さを理由に、本人が自虐して自重したり、周りに軽くあしらわれたりして、“その程度”と済まされてやしないか。

“相談事”が表に出る時、注目するのは、内容だ。この件を問題視している人の中には、「(回答者を批判しつつ)相談者はどうしてこの人に相談したの?」と発言される方も見かけた。しかしながら、回答とその後の対応まで含めて“問題視”するなら、相談者の“選択・決定”にケチをつけるのは筋違いだと思う。それが“正解”だったかはわからないが、当人なりの理由で、相談者がすがったのがたまたまその回答者だったのだ。相談方法や本人の意識が、的確であるに越したことはないけれど、炎上の原因はそこではないと思っている。個人の人格や過去の所業を持ち出して、持論を展開する方法もあるが、とりあえず、それも一旦置いておこう。

長くなったので次記事に続く。ちょっと、私のぐるぐるも一旦休憩。

 

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