こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在、時遡って更新中。)

迷子のお知らせ

久しぶりに思い出した過去があまりにも断片的で、正確性が不安になった。繰り返し引き出しては収めていた記憶はかなり主観的であるに違いないんだけど。自分の選択について、自信があるとかないとかじゃなく、選択の時自体を思い出せない。あの頃の生活は全て幻想だったのかしら?

思えば、小さい頃から、イベント事の記憶が特にぼんやりしている。日常のうちのたまたまな一日を覚えているわりには、年に1回だとか、アクティブな出来事だとか、写真があっても、同時に経験した人と話しても、ほぼ思い出せない。よっぽど興味がなかったのか、忘れるほどストレスだったのか。

大役を務めたとか、卒業とか受験とか、そんなに慣れるようなことじゃない出来事も、やる経緯とか目的地までの道中とか難易度とか、あまりにも覚えてなさすぎて、のちのち同じ現場にいたはずの人と会話してても、共感が少なくて、愛想笑いするかぼーっと聞き流すかしてしまう。

現実の物は全然捨てられないのに、頭ん中はどんどん捨ててってしまうのは、ほんとどうなんだろうか。瞬間的に人の顔を覚えるのはわりと得意な方だけど、長くは保たないからそのうち、「お久しぶりです」も言えなくなって、毎回「初めまして」になったらどうしよう。

人生において、大事な選択をいくつもしてきたとして、選んだ道の上に今があって、これからもまた選択を続けていく。少し前のことならば、振り向けばまだ見えてたりして、あの時の続きがこの今だななんて、黄昏たりできる。だけど選択したこと自体を忘れたり、どういう内容だったか思い出せないと、どうして私はここにいるんだっけって、絶賛大人の迷子。意志とは裏腹な行動をする可能性もある自分に、ろくな信用もないし。

しかし。今更どうしようもない過去を、必死に思い出そうとしても不毛だ、とも思う。わかったところで操作のしようもないし、後悔するぐらいだったら要らない、と短気な私はイライラしながらその結果をまた捨てるだろう。

自分の構成をすべて理解しなくても生きていけるだろう。不確かなままでも新たな思い出が増えても支障はない。在ったものが欠けるとどうしても不安になるけれど、本来私は欠け続けているのかもしれない。得る失うのバランスはまだそれほど極端ではないらしい。

 余談;私は道を覚えるのがとてつもなく苦手で、1回ではまず覚えられない。1度訪れた場所を感覚としては覚えているが(匂い、景色の色、音、温度とか空気)、そこに辿り着くまでの道程や方向がどうも残らない。地図の読み方も下手なので、Go〇gleMapを使っていても迷子になる(目的地の真逆に向かっていたり)。昔、友だち数人と何かの試験を受けに子供だけで遠出したが、その道中どんなだったかを全く覚えていない。たぶん元々行き方を覚える気もなくて、友だちに付いて行くままだったのだと思う。試験に合格している事実はあるので、ちゃんと受験できたのだろうが、よく行って帰ってこれたなーと今でも思う。ほんとに住所も会場も試験の内容も覚えていないので、本当に受験して合格したか?と自分で自分を疑うぐらい。そしてそれはその後のあらゆる“試験”や“行事”を経験する中で何度も繰り返される“現象”なのだ。「そこでの記憶はほぼないけど、行けてたみたい」証明書類等々様様である。

 

 

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