こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。

話の話

なんとか、ぼちぼちではあるけれど、続いてるね、ここ。誰にも見せられないような暗黒帖になるかと思ったけど、ブログという形のおかげで、プライバシーとメンタルを守りながら、なんとか正気を保っている様子が見られて(他人事)安心シテマス。

私は人生のほとんどをこういうウニョウニョした感じで生活してきたと思っている。といっても、昔のことをそもそもあんまり覚えてないってことなんだけど。生まれたことが奇跡だとしたって、さして波乱万丈もない、極々普通の生活。恵まれすぎて有頂天になることも、トラブルだらけでどん底になることも、無い。無かった。それなのにどうしてか、無意識に悲劇のヒロインぶったり、それに気づいて嫌気がさしたり、全て投げ捨てて遠いどこかへ行きたくなったりしている。

自分に問う。本当の友達はいますか?さあ、よくわからない。友達だと思う人はいるけど、それは私がそう思うってだけで、双方向かは知らない。その友達にも、言ってない話はたくさんあるの。単純に言う必要のない話も、言えないと思っている話も。というか、だいたいそうね。実際は、当たり障りのない話しかしてないのかもしれない。もちろん、それらも全部、大切な話/大切な時間であることには違いないけど。恋人にだって、家族にだって、言えないから言ってない話はある。これが所謂墓まで持っていくってことかしら。例えば全てをぶちまけるとしても、相手にも対応キャパってものがありますから...とか言っちゃって、本当はただ自分が信頼してないだけだったりしてね。

人間は皆それぞれ別々、ばらばらの個であるから、相手を完全完璧に理解するなんて無理、それはわかってる。それでも重なりを見つけて、折り合いをつけてく、それが人間関係ってもんでしょ...ってもんなんでしょうね。でも、どうも話通じてるな~という実感が薄いのか、それに対する私の感度が悪いのか、言えない気持ち、複雑な感情がちょっとずつ膨らんで、単純に好きとか楽しいとかいい思い出とか、そういう領域を圧迫していっている気がする。

いつでも話聞くよっていう人ほど、聞く耳持ってねー!って感じだったりね、そういう“最悪ってほどではないけどなんかちょっと嫌”みたいな経験はわりと思い出す。自分はどんな人間で、どんな風に生きるのか、そりゃ結局自分の人生だから、と自分の中にずっと求め続けているけど、人と共に生きていくなら、多少交流とか相談とか、してみてもいいかな、と思ってね。でも、いざとなると、それを堂々とやる機会とか、適した相手とか、なかなかいなくって。私は自分でも驚くくらい人を信頼してないし、身近な人が教えてくれた以上に信頼されてもいないんだなって思ったの。

そんな自分でも、好意や興味は別だから、今日も人の話を聞くし、猫以外にも話掛けるし、人間っぽい社会を生きてる。し、これからも生き延びなきゃいけないみたい。だから、誰かに頼るべき...か?と最近はよく考えている。

病院もカウンセリングも、身近な人たちには必要ないと言われて、やんわりと反対されている。だって、私、どう見たって健康体だから。一般的にはちょっと免疫の低い、体力のない、でも大病も大怪我もしたことない、“大丈夫”な人だから。自分でもそう思う。何も“おかしい”所はないし、何も“問題”ない。一度眠れなくてかかった医師も何も変わったところはないと言い、眠剤くれて終わったし。そう、調べなくても私は普通に大丈夫なんだろう。病名がつけば逆に楽?それは一理あると思う。適度に高いだけのプライドのせいで、“なんでもない”と言われたら、恥ずかしさ・後悔 がないとも言えない。

医学でも占いでも、なんでもいいからひとまず私を定義してみて、って気持ち。証明や理解なんて、贅沢は言わないからさ。なんなんだよって内心蠢くものを少しは知りたいんだよね。全部じゃなくてもいいからさ。

もう大人だから、自分の好きなようにしたらいいとは思うんだけど、具体的に動けないでいる。何をどうしたら“一歩”なのかわからない。何処で誰に何を話せばいいんだろう。どうしたら、ウニョウニョがウニョくらいになるんだろうね。難しいな。

  

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