こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在、時遡って更新中。)

人として生まれて

社会生活と距離をとってしばらく、私は負荷なく過ごせていると思う。接客業をしていたり、昼食をともにする仲間がいたり、これまで私はそれなりに人の中でうまくやることができていただけで、対人スキルが高いとか、人間関係構築が得意なわけではない。ひとりならひとりでその方がいい、と思ったりもする。解り合えないことをキレるより、諦めて、理解されないことを我慢したほうが平穏に感じる。解らないことは解らないんだもの、と冷たくして、熱暴走を防ぎたい。

私の現実周辺はとても静かだ。会いたい人にも会えない世の中、というけれど、正直、今は誰に会いたいでもない。会えて嬉しいな、話せて楽しいな、と感情が盛り上がること自体、想像しただけでとっても疲れる。人に会うと真顔ではいられないと無意識に気を遣う。そんなこと気にしなくていいよ、と言われても、“そうしている”のではなく“そうなっちゃう”のだからどうしようもない。本来お喋り好きなので、人に話し出すととめどない。喋り過ぎをいつも後悔する。大丈夫、と言われても、私が大丈夫じゃない。私自身がしんどいのだ。疲れちゃうならそんなにがんばらなくていいよ、と言われても、がんばってない。考えたくなくても、考えてしまうのだから。誰にも会わない日々は、そういう疲れがなくて、気楽だ。

生活中の意識は専らネット上に置いてしまっている。あと少しだけテレビ。世の中の動きをさらーっと知って、家族との会話に利用する。好きなものにタッチひとつで繋がれる人間の技術は実にありがたいなぁ。そういう意味でも私は生かされているなぁと思う。明日も関わろうと思えるものが連続してあると、一晩寝て起きることが続けられる。ただし、希望や癒しを求めて漂っているけど、求めてないものも共に溢れてきて、時々私を飲み込みかける。現実的には、いいとこどりはなかなか容易ではない。

私は自分を守らなきゃいけないんだろうなぁ。そう考えるだけで生きづらい。誰かに守られたいんじゃなくて、自分を守るってことをわざわざしなきゃならないという事実が面倒くさい。ふと自分を傷つけるもの、苦しめるもの、心に負担をかけるものを見極めて、時に解除し、回避し、消去し、打ちのめされることから守ってやらないと、いつか崩れてしまう。次の瞬間の自分を生かしておくための最低限、はしなければならない。

Twitterリツイート非表示とか、関連記事の検索をやめるとか、自分から闇を深掘りしないように気をつける。新しい出逢いに希望も楽しみもあったけど、同時に次々と更新される他人の不幸話に気が滅入るから、ミーハー心を抑えて、闇の開拓をやめる。やりたいことや正解ははっきりわからないから、やれそうなことをやってみることにしよう。

心を満たすものは、どこに在るか知れない。デジタル社会の中に?他人の想像の中に?自分のクリエイションの中に?誰かの隠された手の中に?まだ見てみたいと思っている自分に微かな安心を感じる。次があると信じているのね。

 

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