極端に普通
Twitterの下書きとかスマホのメモ帳とかに、思いついたたけど今出すのはな~ってことを書き留めている。たぶんネタ被りみたいなのもあるし、大したこと残してないんだけど。いつかはそれらもここで消化できたらなと思っている。いつまでも私の手元にあっても、燃えて消えてはくれないから。
感情を侵食されやすい。最近特に。すぐ泣くし。どうでもいいところで急に泣いたりはしないけど、突如グラグラ揺らいでるのが分かる時がある。今のところひきこもりだから大丈夫だけど、外で他人の前で脈絡なくもし泣いたら、と想像すると少し怖い。ありえそうで。
昨日も今日も、ネット上で醜い言葉たちを見た。テレビで奇妙な言い分を聞いた。全ては他人のすること、自分とは無関係という思いと、こんなものを見るために画面を開いたんじゃないとか、こんなことが溢れている世界はほんとキツいとか、落胆と不快感のようなものが、同時に込み上げる。
人間は他人の(特にプライベートな)話が好きだな~と思う。私にも多少そういうところはあるのだろう。人並み以下だろうけど。どんな人間とか生き様、美しい・かわいいものを目にするのは楽しいと思えるから、そういうのはウェルカムだけど、現実に見せられてるのは逆というか、不幸とか悲劇とかツライ苦しいの割合のが多い気がする。だから私は時々、そういうのに“あてられ”て、気分が刃物になったり泥になったり鉛になったりするんだ。
本当のことは、本人しか知らないんだよ。ってのは、いろんなとこで毎回思う。情報の端っこをちょっと齧って知った気になって、それはそれでキャパの問題とか興味や価値観の方向とかあるから、別にそのままでいいと思うんだけど、それを元にコミュニケートする様がちょっとね。時々下品な人がいたりして。最終的に、冷たいようだけど、結局当事者以外は部外者ですよね?あなたもね?って思ったりして、おせっかいも、救済も、“余計な”ってついたらそりゃ余計ですよね、っていう。
ネットでもリアルでも、私がおえって思う状態/状況って、大体似てると思う。某CMじゃないけども、そこに愛はないんだよ、うん。「好きだから」とかって枕詞をつけても、情報を乱暴に扱って人のプライベートに踏み込むなら、免罪符にでもしたかった?愛とやら自体、そこにはなさそうですけど?って思っちゃう。
適度な人なんていないのかもしれないなぁこの世には。私も含め、皆やり過ぎてるかやり足りないかって極端だもの。醜い争いも、下品な言葉も、まぁ~それが人間ですよね~って、微笑ましく見ていられたらいいけど、ずっとそんな感じに出来ていたけど、だんだんと難しくなっている気がする。「あまりにも....」って思うことが増えてきている。
笑って世界を眺めていたいだけなんだよ。