こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(現在9月の記事、遡って更新中。)

考える樹懶

こんな風にインターネットを介した様々を利用しておいてなんだけど、距離空けた方がいいよなぁ~ってのはずっと思っていることで。

あまりに世界が人間が情報がスピーディーで、ナマケモノ気質な私はおいてけぼり感が否めない。そんなに何もかも速い必要ある?いや、恩恵はもちろん受けているけども。ありがたいけども。デジタルそのものは好きだ。技術も理論も進歩してなんぼだと思っている。ついていけてないのは私の非だ、とも。

あまりにも速く、けれど時に不正確に、不穏に、様々なものを与えてくるネットの世界は、現実との境界なんて、子供の頃からすでに曖昧で、それ故の実体験としての喜びも苦しさもあった。現実じゃないところで“学ぶ社会”もあったということだ。もうずっと前から。(そう考えるとネット歴も長いね。)

必要な情報を素早く手に入れる為だったり、感動や感謝ももちろんあるんだけど、一方で毒されているなぁというのは日々感じている。自身を汚される、というとまるで自分が清廉潔白みたいで(チガウヨ)嫌なんだけど、そんな感覚。

ネットを介さなければ知り得なかったことを、今は毎日、毎秒目にすることができる。それが必要かどうかは、出会ってから自分で選別しなければならない。知らなくてよかった、必要なかったことも、出会ってしまう時がある。それはそれでスルーしていけばいいのだけど....それがうまくできない時がある、場合がある、できない人間がいる。私、もその一人。

いろんな人間がいて、いろんな思考があって、ってそれは前から知っていたけど、人間の汚い部分、善悪でいうと悪の部分みたいなのを、最近より強く見せつけられてる気がして、もぉそりゃあ大変気分がよろしくない。

自分もその一部だとわかっているからより、嫌悪増幅というか。“きれいなものだけ感じていたい”ってのは文字通り綺麗事だと思う。けど、本音は、求めずにはいられない。“整った世界”は私の理想妄想夢物語、そして不可能の代名詞。

私の日常考えてることって(きっと暇なのよ)、大体こんな感じだから、夢見がちと流されたり、スピリチュアル?と心配されたり、ややこしく考えすぎと諭されたり(?)して、取り合ってもらえないというか、日常的に誰かとの共同作業(思考とか対話?)にはなかなかなり得ないから、ほぼひとりきりで考えたり飛んだりしている。

まぁ~~~~。そうはいっても、利用するんだけどね、インターネッツ。なきゃ生きていけないと思ってるよ。ほんと。ここも書けないし。だから使い方次第だよね、なにごとも。どうしたら汚され(ると感じ)ずに、そういう世界に向き合っていけるのか。ネットに限らず、現実社会もだけどね。どう付き合えばいいのか。

私が世界や社会を「どーしよーもねぇなぁ~」と感じるとき、世の中も私のことを「どーしよーもねぇなぁ~」と思っているのかも。取り扱いに困ってるっていうね。

 

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