こんらん

脳内漏洩。怪我しないでね。(更新停滞中。)

さいかい

久しぶり。中身はともあれ継続だけは頑張るぞーいと誓って、1ヵ月半、空いてしまった。別に自分との約束だし、待たれてるものでもないからいいんだけども。ただ変な意地があるので、追いかけ更新で、空いてる期間を埋めていくつもりだ。果たして、そこまで書くことがあるのかだが。そもそも意味を求めてない、求められないブログと言っていたのだから、すなわちやりたい放題だし、なるようにしかならない。

中断の理由は明確、パソコンが使えなくなったから、だ。初めてのマイパソコンは随分前にほぼほぼお逝きになり、父上のを借りていたのだがそれも壊れた。特に必要なデータとかは保存していなくて、ほぼココを書くのと音楽聴くのにしか使ってなかったわけだが...。いつかは壊れると思っていたし慌てることはなかったのだけど、更新は中断し、当然のように困った。ああ、ここで買うタイミングが来たんだなと思った。スマホから更新することも考えたけど、どうにも...全体像が見えなくてね、挫折。私、うまいことやれてるとは思ってないんだけど、ただ文字を羅列するだけじゃなくて、全体の文章量とか見た目のバランスとか、気にしてること意外とあったみたい。書いた後、読んで理解できるように、とは思っているけど、まとまっている・整っているとは程遠い性質なのは自分でわかっているので、流れ・勢い・心地よいリズムみたいなところに重きを置いている気がする。自己満足だけど。でもいいの、自分が“これでいっか”と振り切れなきゃ、一生表出できないわけだし。むーんと思いながらスマホで投稿画面を開いて、現状説明の記事を何度も書こうと試みたけれど、一向に指が進まなかった。ゲームばっかしてたからタップはたくさんしてたんだけどね。やっぱりブログ書くならキーボード必須だなーって改めて思った。それも決して速くはないけれど。思い付きからの出力がスムーズなのは良いことだなーと。間が空いたからタイピングが覚束ないんじゃないかと思ったけど、今案外打ててるから一安心だ。というわけで、おニューのパソコンを手に入れまして、投稿を再開しまーす。この1ヵ月半、大概悩んだのだけど、その話はまた後日。

またしばらくは同じような内容が続くかもしれないけど、ゆるりとやっていきます。特段生活が変わったわけじゃないから、たぶん以前書いてたことと似たような駄弁りがまた始まるんだろうな~と感じている。でも“書けない”ことにストレスを感じていたんだとしたら、このリスタートを機に多少すっきりするといいんだけれど。思いを吐露する方法、感情を表現する方法、いろいろあるけど、私はそのひとつに文章を選ぶ。上手くない、見るに堪えない気持ちになるかもしれないから読まなくていい、ただの独り言だ。それでも今、ひっそりと、こっそりと、また書ける喜びを感じている。もう一度、もう何度目か、もし出会した人、またよろしくお願いします。

 

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GAME APP RHAPSODY

私はわりとコンスタントにスマホでゲーム、やってる方だと思うのだけれど。あれは本当に時間を溶かすなぁと常々感じている。毎日のノルマを課されてる場合には、貰えるもんは貰いたい精神で、せめて連続ログインだけでも達成しておきたい。微々たる喪失感を味わわないために、ものの見事に引っかかって、自分最大限の“クリア”を目指しているわけだ。おまけに同パターンのアプリを複数とっているので、ゲームの数ぶんそれを繰り返しているのである。無課金勢なので、だからこその行動、ともいえる。無料のままでできる限りのことをする、お金より労力を払う、それでもしサボっても、うっかり忘れても、ただ気持ちがしょんぼりするだけで、失うものは案外少ない、と思っている、今は。まぁただ単にケチなだけだけどね。

できないことが出てきたときは、わりとすんなり納得している。だってしょうがないよ、無課金だからね、と諦められる。時間ギリギリまでとか、ライフが残ってればとか、足掻きはするけど、どっかで冷めた目をした自分もいて、「あ、こりゃあかんな」と思えばスイッチを切る。ムキになって課金に走ることはない、というか、課金しないことにムキになってる感じかもな。タイマーがなくても限度を突きつけられるから、四六時中熱中みたいなことはないね、まだ。

しかしまぁ、複数を渡り歩くと、かわるがわる連続して時間を費やしているのが事実だ。思春期入口の甥たちに「ゲームばっかやってたらあかんで」と言えない立場だ。ログインしなくても死にゃぁしないのに、毎日律儀にログインしてプレイして、一喜一憂しちゃってる。音が出せない環境でそれでも音ゲーのイベント終了間際、音無しでプレイしているとき、「あれ、私これ何のためにやってるんだっけ」ってちょっと思ったよね。「夢中」と言えたなら、それはそれで人間かわいいだと思うんだけど、そこまでの情熱ないと思えば少し切ない。でも実際底辺プレイヤーだからね。ゲーマーを名乗る人から見れば足元にも及ばないだろうが、大多数のユーザーの平均プレイ量はどれくらいなんだろうか。そこよりはきっと私は少なめだと思うんだ。1日24時間は平等でしょうに...皆どうやって時間を捻出したりスキルアップしたりしてるんだろうね。

誰かと競うよりは自分の限界に挑戦する形の方が性に合ってる気がする。ランキングとか、一瞬滾るけどすぐに別にいいやってなる。いつだって、どんな場面だって、一斉によーいドンしてもすぐ追う立場。上には上がいて、その人の目標が「上ること」なら私にはそれが無い。だから競い続けるほどの忍耐力がない。黙々と、ピースをはめていくように、ひとつひとつをクリアしていく系が、私の好きなゲームかな。どっぷりはまることへの恐怖心を常に持ちながら、他人様の素晴らしき発明を堪能する日々である。

 

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吐いた分だけ吸えるのだとしたら

こんなに時間は有り余っているのに、相変わらず“入力”が少ない。本とか映画とか音楽とか漫画とか人の話とか学習とか、自分に取り入れるものの話。入れるものが少ないのだから、限られたものでやりくりしているのはお金も言葉も同じで、少ない語彙や気力で「何か書かねば」「何かやらねば」と思っているうちにまた日が暮れる。いつだって、敵わないし叶わないのだ。吸う前にまずは吐かねば、と歌の時教えてもらったけれど、ちょっとばかり吐いて吸う間もなく倒れている。無念だ、なんて、努力のかけらもない私は口にしてはいけないと思う。

世間に新刊が出て、ちらほらと読みたいなと思うものに出くわす。リアル本屋も、行くまでは面倒だけど行ったらいつも楽しいと思っている。でもお金や時間を言い訳にしていつも何も手にせず店を出る。何しに来たんだろ...って毎回思うけど、買って解消される日はなかなか来ない。読んで満足するのならば、今所有しているもので随分可能だと思う。気に入ったものを繰り返し読むのが元々の性質だから。開拓が難しいのは現実社会、人間関係、好奇心や興味の行き先、全部同じだ。

電車に乗っていても、車を運転していても、ふと「何してるんだろう」と思うことがある。運転に集中してないとはそれなりに危険なわけだから、癖なら治したいと思うのだが、「目的はなんだっけ」とか「何故ここにいるんだろう」とは状況関係なくふと湧き出てくる“疑問”なのだ。外からの情報を取り入れなければ、と思う反面、シャッターは閉まっているのがデフォルト。アンテナ張りまくってキョロキョロして注意散漫ならまだしも、他所に集中しているわけでもないのに、現在進行形の事を「これなんだっけ」と思ってしまう。瞬間(というほど短くもないが)、意識が逸れてまた思い出す。浮いて、地上に立ち直す感覚。“無我夢中”は遠い遠い存在で、ひとつひとつに全力尽くす気になろうとしてもなれない。

全く外界と触れ合っていないわけではないが、多くの繋がりは一時停止している。情報を得るだけの一方通行か、こちらがこうやって語るだけの一方通行か。“相互”関係から少し遠のいている。嫌いだとか嫌がっているわけではなくて、ただちょっと疲れを感じてしまったから、時間内でもシャッターを閉めてしまった、という感じ。私が、目を閉じ耳を塞ぎ、そこから一歩も動かなければ当然、新しい刺激や情報は得られない、関係性は始まらない。あくまで私が動かなければ“入力”は叶わないとわかっているのに、指一本も動かない気持ちなのはなんでなんだろう。“集中”していないのに、頭の中は謎の“考え事”でいっぱいなんだ。

 

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